大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(行ケ)148号 判決

原告

(ドイツ国ミュンヘン)

コンプール・ウエルク・フリードリッヒ・デッケル・オツフエネ・ハンデルスゲゼルシャフト

代理人

ローランド・ゾンデルホフ

復代理人

牧野良三

被告

特許庁長官 荒玉義人

指定代理人

熊谷郁郎

ほか一名

主文

特許庁が、昭和四二年六月二三日、同庁昭和三九年抗告審判第三五七号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一次の事実は当事者間に争がない。

原告は、昭和三四年一一月二五日その主張の発明につき特許出願し、昭和三七年四月一一日出願公告がなされたところ、株式会社ヤシカから特許異議の申立がなされた。特許庁審査官は、昭和三八年七月三一日、右特許異議の申立は理由がある旨の決定をするとともに、原告の特許出願につき、「この出願は株式会社ヤシカの特許異議申立に対する特許異議の決定に記載した理由によつてこれを拒絶すべきものと認める。」との拒絶査定をした。右拒絶査定の謄本は同年八月二八日原告に送達されたが、右特許異議決定の謄本は、昭和三九年一一月二八日に至つてはじめて原告に送付された。原告は右同日から三〇日以内である同年一二月一四日抗告審判を請求した(同年抗告審判第三五七号)。特許庁はこれに対し昭和四二年六月二三日原告主張の理由にもとづき、「本件抗告審判の請求を却下する。」との審決をし、その謄本はその頃原告に送達された。(なお審決に対する出訴期間は昭和四二年一二月七日まで延長された。)

二前叙の事実関係のもとにおいて、本件拒絶査定に対する抗告審判の請求期間はいつから進行をはじめるかについて次に判断する。

拒絶査定に対する抗告審判の請求期間は、拒絶査定送達の日から進行を始める(大正一〇年法律第九六号特許法(以下「旧特許法」という。)第一〇九条)。そして、拒絶査定があつたときは、特許庁長官はその謄本を出願人に送達しなければならないところ(同法第八二条、同法施行規則第四八条第一項)、その謄本は拒絶査定全部の謄本でなければならないことは勿論である。ところで、旧特許法第八一条、同法施行規則第四七条第一項第五号によれば、拒絶査定には主文のみならず理由をも記載しなければならない。右の規定はもとより訓示規定ではないから、査定に理由の記載を全く欠くことは許されないが、理由記載の方法、程度は一応特許庁の裁量に委ねられているものと解すべきである。したがつて、本件のように、拒絶査定には理由の内容を記載せず、特許異議決定記載の理由を全部引用することも違法とはいえない。しかし、この場合は、拒絶査定だけでは出願人はいかなる理由によつて出願を拒絶されたのかを全く知り得ないから、特許異議決定記載の理由が実質上拒絶査定の一部をなすと解するのが相当である。そうだとすると、拒絶査定の謄本だけが出願人に送達されても、特許異議決定の謄本が送付(旧特許法施行規則第四八条第二項)されない限り、実質上の拒絶査定の全部が送達されたとはいえないというべきであるから、拒絶査定の謄本のみの送達によつては抗告審判の請求期間は進行を始めない。そして、拒絶査定の全部の謄本が同時に送達されなければならないと解する必要はないから、右の場合拒絶査定謄本の送達の後に、特許異議決定の謄本が送付された拒絶査定の受送達者がこれを受領すれば、その時から抗告審判の請求期間は進行を始めると解すべきである。

本件においては、昭和三八年八月二八日に拒絶査定謄本が原告に送達された当時は、特許異議決定の謄本はまだ送付されていなかつたのであるから、抗告審判の請求期間が進行を始めるのはその日からではなく、特許異議決定の謄本を原告が受領した昭和三九年一一月二八日からであるといわねばならない。

三そうだとすると、前叙のとおり原告は前記昭和三九年一一月二八日から三〇日以内である同年一二月一四日抗告審判を請求したのであるから、本件抗告審判の請求が適法であることは明らかである。したがつて、右と見解を異にし、昭和三八年八月二八日から抗告審判の請求期間が進行を始めるものと解し、本件抗告審判の請求を不適法として却下した本件審決は違法であつて取消を免れない。〈以下略〉(服部高顕 荒木秀一 滝川叡一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例